ひふみのブログ

シンプルに生きる。

ちょっと富山行ってくる(氷見へ)

こんにちは。

富山探索の2日目です。

本日は昨日の山岳コースから一転、富山湾沿いの街(氷見市近郊)を訪問しようと思います。

富山駅からローカル線に乗り換え高岡~氷見駅を目指します。

あいの風とやま鉄道

高岡で氷見線に取り換えて30分ほどで終点の氷見駅に到着です。
ちょうど富山湾能登半島の付け根ぐらいの場所の街です。

この氷見市藤子不二雄Aさんの出身地、また氷見ブリで有名な街で関連する展示が街並みにたくさんありました。

怪物君、ハットリくん笑うセールスマンなど懐かしいキャラが街中にたくさん。

ハットリくんの大きな壁画。

氷見はブリでも有名な街。

色々なキャラクターがいる街中を歩き20分ほどすると漁港に到着。今日はここにある食堂で氷見でとれた地元の魚を使った海鮮丼をいただくことにする。

こちらの魚市場食堂6:00から営業しており、7時に訪問したがすでに行列が出来ており30分ほど待つことになった。

入店後、着丼。

氷見浜丼(漁師汁付き)。刺身の量が多くてご飯より刺身の方が余ってしまいました。

 

腹も膨れたので周囲を散策する。

氷見線沿線にある雨晴駅を訪問、ここは富山湾が一望できるいわゆる「海の見える駅」としても人気のスポットです。

 

ホームに降りるとこの景色が広がる。

良き。

駅から10分ほど歩くと雨晴海岸に到着。

ここからは昨日登った立山の景色が一望できるスポットです。(真夏なのでかなり日差しがきつく長居できませんでした。)

冬場ならもっと眺めがよさそうですね。

とまぁこんな感じで東京の裏側の富山を訪問してきました。

北陸新幹線はくたか)を使えばなんと約2時間で到着してしまうので実は日帰り旅行の射程圏内だったりもします。

 

今回の旅行は登山メインだったので夏に訪問しましたが、街歩きメインなら冬場に着て旬のブリや雪の積もった立山連峰を見るのもよさそうですね。

また季節が変わったらぜひ訪問したいと思います。

 

さらば富山・立山、また会おう。

 

 

ちょっと富山行ってくる(立山へ②)

室堂から登り始めること1時間少々、徐々に山頂が見えてきました。

途中には小さなお社がいつか点在しており、改めてここが山岳信仰の山であったことがわかります。

10:20頃登り始めて約一時間半で雄山山頂(3003m)に到着です。

山頂からの景色、うっすらと槍ヶ岳が見える。

山頂にある雄山神社は創建701年とも言われています。

まだ登山ルートも高原バスも整備されていない時代にここまで来て祈りをささげるとは、当時の修験者の信仰はすさまじいですね。

 

丁度祈祷を行っているようでなんと宮司さんまでいました。

どうでもいいけどあの人たちここまで毎日通ってきてるんかな?

 

富山湾方面の景色、朝いたミクリガ池が良く見える。遥かかなたには能登半島がうっすらと。

そんな感じで下山を開始。

12:00に室堂に再び戻ってきました、下山自体は1時間程度ですね。

 

3000m級の山といえど実質的に登った標高はせいぜい500m程度、最後は少し急登が続きますが人並みの体力がある人ならわりとお手軽に登れる山だと思います。

 

その後はアルペンルートを戻り富山駅へ。

富山駅コンパクトシティといった感じで街が機能的に整備されておりライトレールも乗車でき楽しい街でした。

この日の〆はシースーで優勝してきました。

明日は日本海側の氷見市を訪問予定です。

 

ちょっと富山行ってくる(立山へ①)

夏休みということで思い切って富山に行ってきました。

前から行ってみたかった立山黒部アルペンルート立山(雄山)登山後に日本海側の氷見市を探索する2日間の予定です。

 

本日は登山パート、前泊した関係で朝五時の富山駅からスタートです。

立山へは立山黒部アルペンルートという大規模な山岳ルートを通りアクセスします。

富山地方鉄道~ケーブルカー~高原バスと乗り継ぎ、最寄りの登山口の室堂までアクセスします。富山地鉄めっちゃ揺れる。

さすがの人気ルートで途中のケーブルカー乗り換えでは30以上待つことになりました。

ケーブルカーは予約制なので訪問するかたはWebで事前予約することをお勧めします。

大体富山駅から3時間ほどかけて室堂(標高2450m)までたどり着きます。気温は15度ほど一気に肌寒くなります。

 

立山は富士山、白山と並ぶ日本三霊山の一つです。

周辺には弥陀ガ原、地獄谷など仏教由来の名前が多いことからも信仰の山どいうことがわかります。

 

9:00雄山へ向けてアタック開始。あの山の頂を目指して登っていく。

有名なミクリガ池、室堂のシンボルと言っていい火山湖。

序盤の道中の登山道は整備されており、高山植物がちょうど見ごろになっていました。8月にも関わらず雪が残っています、この時期にあるということは基本的に万年雪なのでしょうね。

眺め良き。

9:40頃セーブポイントである一の越山荘(標高2700m)へ到着。

コーラが一本500円で売られており中々の山岳料金。(まぁ輸送料を含めがしょうがないか。)ここを超えるとのぼりが急になり難易度が徐々に上がっていく。

さて、頂上までもう一息。

 

ひとまず経済的自由を達成した。

先月末で金融資産がひとまず目標としていた金額に達した。理論上今の資産を年3%程度で運用していけば元本を減らすことなく生活に必要な支出を賄うことが出来る。

年間3%の運用は米国株のINDEX投信に置いておけば十分達成できる数値だろう。いわゆる経済的自由をほぼ達成した状態となった。

二十代後半から資産形成を意識しだして、途中で仕事を辞めたりもしたけど約10年でこの地点まで到達することが出来た。

とはいえすぐに会社をリタイアして無職になるかと言えばそうでもなく当面はまだ今の仕事を継続しようとは思っている。

ただいわゆるお金のために働くといったステージからは卒業することになるのだろう。自分が価値提供できること、自分がやりたいことに焦点を絞って仕事をづづけることが出来ればいいと思う。

FIREという言葉が流行りだして久しいが大事なことはFIの部分(Financial  Independence)の部分でありRE(Retire Early)は選択肢の一つでしかないと思う。

ただこの選択肢があるという事実が大事なんだと思う。

お金以外の価値観で優先順位をつけて自分の人生を取捨選択していく。

生き甲斐なのか、楽しみなのか、健康なのか。

そんな感じで自分の心の声に耳を傾けながら生きていこうと思う。

 

 

コロナ時代にひと区切り

明日(5/8)からコロナが5類に格下げになる。

既に世間はマスクをしないで出歩いている人も一定数見られ徐々にコロナ前の生活に戻りつつある。

うちの会社もマスクの着用は任意となり、出社・会議・飲み会制限なども特になくなり実質的にコロナに関する制約はほぼなくなる。

ただ在宅勤務や取引先とのオンライン会議の仕組みは各自の判断で使い分けることが可能になる。

 

そんな感じで少し働き方のスタイルは変わった部分はあるし、個人によってあのウィルスに対する考え方の違いはあれど、あの頃の日常にほぼ戻ることが出来るという意味では5/8でコロナ騒動はいったん幕引きということになるのだろう。

 

思えば色々あったなぁ。

・突然の在宅ワーク

・コロナに伴う仕事の失注

・マスクをしての転職活動

・オンライン会議、リモート飲み会

・マスクの買い占め、マスク警察

・ワクチン問題

・給付金の問題

・コロナ禍でのオリンピック

 

これらが3年ちょっとの期間であったこと。

3年間という期間は一つの時代と言ってもいいだろう。コロナ時代、コロナ世代といった表現で将来は教科書にも載るのかもしれない。

 

ところで自分が好きな中島みゆきの「時代」にもこんな一節がある。

そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ

 

コロナで失ったもの、得たもの、気づかされたもの人それぞれあると思う。すぐに遠い目をして歌詞のようにコロナ禍を過去の出来事にするまで達観出来ない人、納得していない人はまだ大勢いるだろう。

 

でもいつかはそれらを全部時間の流れが飲み込んで「あー、そんな時代もあったなぁ。」と遠い目をして新しい時代を生きてくことになるのだと思う、その時にコロナ禍は過去の時代の話になっていくのかな。

 

 

あっという間の4月

気が付けば4月も終わろうとしている。

4月から組織が変わって自分の下にも結構の数の部下がついている。派遣の人も含めれば大体20人ぐらいのチームになる。

この20人が別々のプロジェクトで動いていてそれを一つのチームとしてまとめて運営していかなくてはならない。

正直全く自分が把握していないプロジェクトもぶら下がってくることになり一から状況を理解する必要がある。

各プロジェクトの理解や適切な経営層への報告など今まで以上に管理職の素養が求められるようになっている。

その反面自分も個別に作業を抱えいてプレイヤーとしての一面も抱えている。色々うまく回っていない部分があって、自分にも、周りにもイライラしてしまうことがあるが完璧を求めてもしょうがない。

うまく回していくように緩急を調整していかなとな。

ただこうやって自分の個性や尖った部分が削られて、周りと同じような当たり障りのない管理職になっていくんだろうなと思ったり。

 

 

ちょっと皆神山行ってくる(後編)

皆神山探索の最終回です。

hifumeeen.hateblo.jp

大日の湧き水へ

皆神山を下山します。下山後はこの近くにある像山地下壕、舞鶴地下壕を訪問してみます。戦時中の大本営天皇御座所の移転予定地と言われていた場所です。

 

その前に皆神山の北西に位置する大日堂跡に寄り道、ここから湧いている水は地元では評判の名水だそうです。

実際に訪れてみると地元の人が何人もタンクで水を汲んでいました。

私も飲んでみましたがとても滑らかで飲みやすい水でした。水は特に冷た過ぎず適温でした。こんなところで湧き水も飲める、不思議な山だよ皆神山。

 

大本営跡地・地震観測所・天皇御座所へ

向かう先はまず地震観測所と天皇御座所の移転予定地だった舞鶴山地下壕へ、最後に松代象山地下壕へ向かいます。全長10kmにも及ぶ地下壕群があるようです。

舞鶴山地下壕へ

目的地につくと抗口らしきものが見えてきましたここが地震観測施設のようです。

もともと太平洋戦争末期に日本軍が大本営の移転地として掘った地下壕群のうちここ舞鶴山地下壕を1947から地震観測所として活用し始めたようで様々な計測機が設置されています。安定した岩盤があることから地震計測には適した場所とのことです。(このことからも皆神山だけ崩れやすいゴロタ石の地層であることの不自然さがわかります。)

 

近くには地震観測所の建屋もありましたが本日は休館日のようでした。松代群発地震の時の資料も閲覧できるようです。

観測所の建屋はこんな造りになっており当初はここに宮内庁天皇の御座所を移転させる予定だったそうです。そのためかこの建物のコンクリが非常に分厚く頑丈そうな造りになっています。

ネットから拝借した天皇御座所の写真(庁舎の中にあるらしく非公開)

非常に質素な作りですね。

 

松代象山地下壕へ

その後はもう一つの地下壕である象山地下壕を見学します。

こちらは無料で中を見学できるよう。

中は固い岩盤で出来ているようで削岩機やダイナマイトを使って掘り進めたとのこと。立ち入り禁止の場所が随所に見えますが網目状に地下壕ひろがっていることがわかります。

しかしこんなところに大本営天皇陛下三種の神器を移してまで戦争を継続するつもりだったのでしょうか?歴にIFはありませんがそうなるまで日本が徹底抗戦していたとするとどんな被害を受けていたのでしょうか?

 

なぜ大本営天皇御座所の移転地を松代にしたのか?

皆神山との関連はあるのか?

肝心なことはわからずじまいでした。

 

帰りの新幹線の時刻も迫っていたため様々な謎がうごめく松代・皆神山を後にしました。(オカルト的な話から始まり、宗教、地質学、旧日本軍の思惑などお腹一杯です。)

 

さらば皆神山、また逢う日まで