ひふみのブログ

シンプルに生きる。

生きる力

とある有名人が今重い病気を患っていて、闘病中の様子をYouTubeにアップしていた。

かなり容体は悪そうだが動画からは、何としても生きてやるという強い意志が伝わって来た。

辛くても、痛くても、苦しくても、それでも良くなってやる、生きてやる。

そんな決意が感じられる。

 

この動画を見て人が生きるモチベーションって何だろうとふと考える。

自分はあの人のように強く生きたいと思えるのだろうか? 

 

生きることが楽しい・意味を感じてるだから生きたいと感じている人。

何となく生きている人。

死ぬことが怖い、死ねないから生きている人。

 

そんな感じに大別されるのかと思う。

 

人生のどん底にいるとき、大病を患った時、生き抜くための試練にぶつかった時にきっとその人の生死観がそのまま生きる力に繋がるのかもしれない。

 

 

しっぺ返し

本来やるべきことをやること。

正しい手順を踏むこと。

優先順位を付けること。

筋を通す事。

問題を先送りにしないこと。

誠意のある説明をすること。

こういうことを蔑ろにしていると今までの人生経験上かなりの確率で痛い目にあった。

 

連日の色々なニュースを見るとどうしてもそのうち手痛いしっぺ返しを受ける気がしてならない。

ごまかそうとする。

有耶無耶にしようとする。

逃げ切ろうとする。

果たしてうまくいくのかな?

誰の事とは言わないけど、何の事とも言わないけど。

 

 

効率化の行く末

職場でRPAの導入が進んでいる。

細々とした日常のルーティン業務が自動化され、単調な作業に掛ける時間が大幅に短縮されることになる。

この手の話の導入時の触れ込みとしては「誰でも出来る仕事は機械に任せて、私たちはより高度な仕事にシフトしていきましょう」ということだ。

高度な仕事って何?

そこまでの具体的な指示は特にない。

自分で考えろという事なのだろう。

黙っていても仕事が上から降ってくる時代ではなくなっていく。

自分で考えて仕事を企画して、作り出し、推進していく。そうでなくては生き残っていけない時代が来る。

効率化の行く末は仕事の中身を変えるだけでなく、仕事に対する姿勢そのものを変えていく事になるのだと思う。当然すべての人間がそんなマッチョな仕事の仕方が出来るわけでもなく、淘汰される人も出てくる。

効率化の行く末にどんな世の中が待っているのだろう。

 

 

1年の重み

緊急事態の延期が決まった。

もうどうなれば解除されるのか、いつ解除されるのか、そもそも緊急事態宣言自体に意味があるのか色々分からない状況で引き続き自粛生活が強いられることになる。

去年から続いているこの騒動。

いい加減しびれを切らせて好き勝手やる人もいれば、相変わらず自粛生活を続ける人もいる。

去年からの1年とまだこの先も少なくとも1年ぐらいは同じ生活が続くだろう。

この1年、2年でも人によって感じる重みは全く違うだろう。

 

自分のような30代中盤のサラリーマンにとっては1年、2年の停滞はそこまでのインパクトは正直ないのかもしれない。

 

反面、学生にとっての1、2年は非常に重要だ。

学校イベントの中止、大学のリモートでの授業、学生のうちだから出来ること、経験出来ることの多くを経験できないで青春の貴重な時間を過ごすことになる。

20年に満たないかられの人生の中での1、2年はとても重い。

 

他にも重要な人たちがいる。それは健康寿命が迫っている高齢者だ。

自由に動き回れる、自分の意思で活動できる残された時間が数年しかない高齢者たち。

残りのリミットを考えると彼らにとっての1年、2年もまた重い。

 

彼らは同じ時間でも重みが違う。

停滞した時間は返ってこない。

 

説明責任

自分にとって都合が悪いことに関してはダンマリを決め込んだり、事実を正しく認めようとしない人がいる。

最近ニュースで言うと、緊急事態宣言を延長した某首相だったり、結婚問題で揺れている某海の王子だったり、池袋の上級国民が目に付く。

彼らに言えることはダンマリを決め込んでそのままやり過ごそうとしていること。そしてそれで何とかなってしまいそうな状況であること。開き直ったもん勝ちみたいな状況。

 

昔、上司からアカウンタビリティ(説明責任)とい言葉を教えてもらった。  

自分の行動に責任を持つということは良いことも、悪いことも含めてすべてを説明することだと。

今どういう状況なのか?

何が原因でその状況になったのか?

今後どうするのか?

具体的に何をしていくのか?

じゃないと周りからの信用を勝ち取ることは出来ないし、曖昧にしたままだと結局自分の首を絞めることになるよ、と。

 

冒頭であげた人達が説明責任を果たしているとは思えない、きっとどこかで逃げ切れなくなる、痛い目を見る時が来るのかもしれない。

 

でも案外今の時代はもうそうでもないのかもしれない。

ごね得、逃げ切り得、ごまかし得・・・

正しく生きることへの虚しさを少し感じてしまう。

 

 

歩いて巡礼 秩父34観音(2日目・後編)

f:id:hifumeeen:20210504204710j:plain

時刻は10過ぎ、18番に向けて歩を進める。

住宅街を歩いてひょっこり現れた小さな寺に到着。

18番 神戸寺(ごうどじ)

f:id:hifumeeen:20210504204055j:plain

f:id:hifumeeen:20210504204111j:plain

おなじみのメンバーがお堂に鎮座していが、不動明王先輩はいなかった。

 

19番 龍石寺(りゅうせきじ)

f:id:hifumeeen:20210504204457j:plain

ここのお寺は大きな岩盤の上に本堂が立っている。四国八十八箇所でいうと常楽寺みたいなもんだな。(独り言)

 

20番に向けて歩き始めるが、途中で有名なハープ橋を発見。この橋も武甲山と並んで秩父のランドマークになっている。

f:id:hifumeeen:20210504205004j:plain

ハープ橋を横目に10分ほど歩くと20番に到着。

 

20番 岩乃上堂(いわのうえどう)

f:id:hifumeeen:20210504205411j:plain

f:id:hifumeeen:20210504205449j:plain

庭がきれいなお寺だなと思っていたら、庭師がやっぱり手入れをしていた。

維持費もそれなりにかかっているのだろう。

 

秩父は本当にどこからでも武甲山が良く見える。

f:id:hifumeeen:20210504205645j:plain

その後、立て続けに2寺打つ。

21番 観音寺(かんのんじ)

f:id:hifumeeen:20210504210144j:plain

大学生ぐらいの4人の集団と出くわす。

車で巡礼しているようで、御朱印もしっかりもらっていた。(若いのにずいぶん渋い趣味をしているなぁ。 )

 

 22番 童子堂(どうしどう)

f:id:hifumeeen:20210504210449j:plain

f:id:hifumeeen:20210504210506j:plain

徐々に足に違和感を感じ始める。(おそらく左足にマメができている。)

まぁ痛いけど普通にスルーして次の音楽寺を目指す。

 

次は結構な山登りになる。

f:id:hifumeeen:20210504210811j:plain

ひいこらひいこら言いながら峠の中腹にある音楽寺に到着

 

22番 音楽寺(おんがくじ)

f:id:hifumeeen:20210504211017j:plain

f:id:hifumeeen:20210504211032j:plain

時刻は12時30分過ぎ、昔ながらの遍路道を歩きながら次を目指す。

やはり巡礼はこういう道を歩くに限る。

f:id:hifumeeen:20210504211347j:plain

f:id:hifumeeen:20210504211406j:plain

3キロほど歩いて24番に到着する。

24番 法泉寺(ほうせんじ)

f:id:hifumeeen:20210504211608j:plain

 

ここのお寺の近くの食堂で唐揚げ定食を食べ、今日最後のお寺になるかもしれない久昌寺を目指す。

 

25番 久昌寺(きゅうしょうじ)

f:id:hifumeeen:20210504211942j:plain

f:id:hifumeeen:20210504212024j:plain

ここでの納経を終えて時刻は3時過ぎ、次を目指すか悩んだがまぁ帰りの電車の時間も考慮してここで打ち止めとすることにする。

ひとまず予定通りノルマを達成したので最寄りの駅へ歩を進める。

 

いつの間にか武甲山の西側に回り込んでいたようだ。

f:id:hifumeeen:20210504212446j:plain

3時半過ぎに秩父鉄道浦山口駅に到着。。

足痛い。

f:id:hifumeeen:20210504212603j:plain

2日間で行けるとこまで行こうと思い回ったが、まぁ予定通りといったところだろう。

札所の間隔が短く少し慌ただしい感じにはなったが、総じてどのお寺も管理が行き届いていて見どころが多いお寺ばかりだった。

各札所への道案内も整備されていて迷うことはほどんど無かったし、納経所の人の対応も親切で非常に気持ちよく回ることが出来た。

 

帰りの電車に揺られ20時頃に無事帰宅。

f:id:hifumeeen:20210504214811j:plain

次回は秋頃かなぁ。

難易度の高いお寺や札所の間隔が長いお寺があり、それなりに楽しめそうだ。

 

2日目歩行距離:20km

 

後日の巡礼記事はこちら

hifumeeen.hateblo.jp

歩いて巡礼 秩父34観音(2日目・前編)

f:id:hifumeeen:20210503161116j:plain

秩父34観音巡礼、2日目の朝です。

昨日のホテルでは特にやることもなく22時くらいには寝てしまい朝も早くから目が覚める。

朝食をとり準備万端で出発。

f:id:hifumeeen:20210503161419j:plain

今日もいい天気になりそう。

今日は13番~25番くらいまで回れればいいかなということで早速、秩父の市街地を歩き始める。

秩父鉄道のお花畑駅には多くの登山者らしき人達が乗り換えをしていた。

 

13番 慈眼寺(じげんじ)

7時45分に到着、静かに読経を始める。

寺は朝に限る。

f:id:hifumeeen:20210503162310j:plain

f:id:hifumeeen:20210503162332j:plain

納経所では目によいとされるお茶をお接待いただいた。

普通のお茶だった。

そのまま次のお寺を目指す。

 

14番 今宮坊(いまみやぼう)

f:id:hifumeeen:20210503162745j:plain

 

ここからしばらくは市街地を行ったり来たりが続く。

途中で秩父神社に立ち寄る。結構大きな神社で神主さんと思われる人も複数人いた。

f:id:hifumeeen:20210503163446j:plain

f:id:hifumeeen:20210503163501j:plain

秩父地方と言えば三峯神社も有名だし、この後の楽しみとして取っておこう。

そして秩父鉄道の踏切を越えて15番に到着。

 

15番 少林寺(しょうりんじ)

f:id:hifumeeen:20210503164223j:plain

ここは牡丹が丁度見ごろを迎えていた。

花言葉は「風格」「富貴」「恥じらい」だとさ。

f:id:hifumeeen:20210503164323j:plain

f:id:hifumeeen:20210503164342j:plain

ここでも本尊は開帳されていた。

基本的にはお寺の本尊はあまり開帳していないものだがここ秩父の34観音は本尊を開帳しているお寺が多く非常にお参りのし甲斐がある。

 

徐々に秩父の中心地から外れて郊外へ移動していく。

9時15分、16番に到着。

 

16番 西光寺(さいこうじ)

f:id:hifumeeen:20210503164954j:plain

今回の巡礼で初登場の真言宗のお寺。

真言宗は自分にとってはお馴染みのお寺だ、余談だか般若心境を読む際に真言宗は『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』と唱えるのだが他の宗派では頭の『仏説』は付けないらしい。

慣れ親しんだ『仏説』を付けて読経する。

f:id:hifumeeen:20210503165357j:plain

 

南無大師遍照金剛・・・

f:id:hifumeeen:20210503165529j:plain

このお寺には本堂の横に回廊があり、ここでは四国八十八箇所のご本尊が安置されている。ちょっとした四国巡礼も出来てしまうのだ。

f:id:hifumeeen:20210503165650j:plain

f:id:hifumeeen:20210503165732j:plain

見どころが多いお寺だが、何というかお金かかってそうだなぁというのが世俗の人間の感想。

そんな感じで西光(最高)寺でした。

f:id:hifumeeen:20210504203050j:plain

17番 定林寺(じょうりんじ)

f:id:hifumeeen:20210504203300j:plain

ここもアニメの聖地となっているようで関連するグッズや若の者の巡礼者が数人いた。

時刻は10時過ぎ、次行って見よう。

 

 (2日目・後編へ続く)