ひふみのブログ

シンプルに生きる。

春の足音

朝起きてシャワー浴びて今日も7時からテレワークを開始する。

就業の連絡をグループチャットにして集中して資料の作成をする。

みんなが始業する9時になると立て続けに打ち合わせが始まる。

束の間の30分ほどの昼休みもパスタすすりながら資料のレビュー。

今日は特に忙しくてOutlookのスケジュールがテトリスのブロックのように敷き詰められている。

 

いつの間にやら日は暮れる。

気づけば21時、ようやく一息ついて夕飯を買いに外に出る。

その時やっと

 

「ああ、暖かくなってきたなぁ…」

 

と感じる。

仕事以外何もしない、何も考えないで終わった1日。

すこし悔いが残る日。

数万日生きる(はず)の人生のたかだか1日、2日の話。

でもそうやって歳をとる。

少し反省。

 

 

ライフスタイルの変化とお金のかけどころ。

引っ越しをして約3カ月が経過した。

テレワークがメインになり一日家で過ごす時間が多くなった中、以前住んでいたアパートでは部屋が狭く、日当たりも悪く精神衛生上よくないといった理由から引っ越しを決めた。

家賃はトータルで3万円近く上がったが、部屋も広く日当たりも良好、隣の住人への配慮も必要の無い環境で快適に仕事が出来ている。

居住環境の考え方が寝に帰る場所から一日生活する場所に変わっている。

その分駅からは少し遠くなったが、そもそも駅に行く機会が格段に減ったため別に大した問題はない。

 

こうして考えると以前は会社に近い・駅近物件に住んだり、会社の飲み会や昼食代、スーツなどの身だしなみにお金を使っていたが、今はどうやったら自分が快適に家で過ごせるか、効率よく仕事ができるか、にお金を使っている。

 

最近買ったLGワイドディスプレイ。

以前は仕事で使うものを自腹で買うことはしない主義だったが、仕事中の時間が少しでも快適になるならと導入を決めた。

肩こりも軽減されたし、生産性も上がって本当に買ってよかった。

f:id:hifumeeen:20220313211654j:plain

ライフスタイルが変わればお金の使い方も変わる。

これからも自分の生活の質を上げるためのお金の使い方は考えていこうと思う。

 

自分の優先順位

明日は金曜日、あっという間の一週間。

朝起きて、資料作って、打ち合わせして、事務処理して、成果物レビューして、あっという間に夜。

このルーティンであっというまに平日が終わってしまう。

昼休みに外にでておいしいランチ食べに行けばいいのに、次の打ち合わせの準備しながらカップラーメンを口に押し込んで午後に備える。

たまには定時に上がって少し外をランニングしてもいいのに納期が迫ってる資料があるから遅くまでPCと睨めっこしている。

めんどくさい仕事を先送りすのではなく、自分がやりたいことをついつい先送りしてしまう。

油断すると自分の優先順位を下げてしまう。

これはきっともう自分の性格に染みついてしまっている部分なんだと思う。

そんなに肩肘張らなくていいことはわかっている。

でもすぐに自分の性格が変わらないこともわかっている。

ぼちぼちやっていくしかないな。

 

 

 

成功の罠

色々あったトラブル案件も無事片付き、途中から火消で入っていた自分は一定の評価を得ることが出来た。

個人的には成功と言っていい案件だった。

 

こうして振り返ってみるとここ数年自分は仕事で殆ど失敗をしていないし、着実に成功体験を積み上げてきている。

これを良いこと捉えるか悪いことと捉えるか難しい考えが分かれると思う。

 

ただ一つ思うことは、

少しずつ自分の本来の能力を超えた成功になり始めているということだ。

成功は次への期待値を高くする。

成功はさらなる成功を求めてくる。

成功は失敗・妥協を許さなくなる。

成功は周囲の人間にも成功を求めてくる。

成功は結果ではなく義務になる。

 

そんな感じで気づけば身動きできない状態になっているのだろう。

今ならまだ間に合う。

 

無理してないか?

焦ってないか?

身の丈に合った働き方か?

周りの評価に踊らされてないか?

 

少し立ち止まって考えてみよう。

 

 

日本のIT企業の製品を見なくなったなぁ

今商談先にかなり大規模な基幹システム更新の提案依頼を受けておりシステム構成を検討していて、いろいろな会社の製品やサービスを組み合わせながら提案書をまとめている。

ITの基盤部分から業務アプリケーションまで色々な会社のサービスが候補に挙がっている。

今やダウ平均に採用されたSalesfroceを初めとしてSAP, Oracle, Amazon, google, Avaya, Anaplan, Tabeau, ServiceNow, WorkDay, UIpath, Akamai… ほとんどが海外の企業ばかりで固められている。

自分が新入社員で入社した頃はまだ日本のIT企業の製品も対象に入っていたのだか、今回の様な大規模更新の提案を5年、6年間隔で実施するごとに海外の企業が増えていき今や日本企業がほとんどなくなってしまった。

挙句の果てには上記の様な企業に対抗するサービスを作り出すどころか、積極的に販売代理店として傘下に入るような日本企業の方が多い。

クラウド化の波にうまく乗れなかったり、なんでも上長の決裁が必要な日本企業独特の問題など色々原因はあるのだろうけど。

やっぱりスピード感が全然違うんだろうなとは思う。

もちろん自分も典型的な日本企業で働いているので、今回の提案書をまとめるにあたっても本筋ではない部分での社内政治的な相談や根回し、各部署ごとへの利益の配分etc,,,それに付随する説明資料の作成で時間ばかりがとられている。

どこの企業もきっと同じようなもんだろう。

 

そりゃ時間かかるわ。

そりゃ人件費かさむわ。

そりゃ淘汰されてくわ。

 

じゃぁこういう社内的な仕事が一切なくなればいいかと考えるとそうでもないとは思っている。言い方は悪いが必要悪的なところもあるような気がしている。

実際海外の企業で働いたことないからわからんけど、この辺いわゆる「根回し的な仕事」の部分ってどういう仕組みで回っているのだろうか?

この辺の事情をもっと深く理解しないと今の日本の企業の仕組みも変えられない気がするんだよなぁ。

 

 

そんな成長ばっかしてられっかという話。

こんばんは。
今年も始まり一月が経過しました。

下期の数字目標(売上や利益など)を追いかけるラットレースの日々です。

数値は安定の前年比増、お決まりの成長を求められています。(出来る、出来ないは別問題です。)

どうやって受注を拡大させるか、どうやって効率化して利益を出すか。

数値目標ノルマとのギャップを具体的にどんなアクションで埋めていくか、スケジュールは決まっているのか、、、

そんなことを考える(考えさせられる)日々です。

ある意味資本主義の社会で働く人間の宿命でしょう。

資産運用や株式投資をしていると配当貴族株や配当王株の話をよく聞きます。

30年、50年連続増配とか、そんなことを聞くと投資する側としては嬉しい限りで、ともすると『増配!、増配!』と叫びたくなる気持ちは十分にわかります。

でも、結局その増配の源泉って会社の成長であり、部門の成長であり、社員一人一人の成長なんだと思います。

・もっといい製品を開発しましょう
・もっと新しいビジネスモデルを考えましょう
・もっと難しい仕事に挑戦しましょう
・もっと新しいスキルを身に着けましょう
・もっと生産性を高めましょう
・もっとたくさん売りましょう
・もっと経費を節約しましょう
・もっと下請けを買い叩きましょう

こんな感じですかね(最後の方は成長というよりは搾取に近いか、、、)
正直に言うと、、


まじでキチー。


そんな斬新なアイデアもポンポン出てこないし、新しいことを覚えるのにも限界がある、行き過ぎた効率化はただの搾取だったり手抜きだったりする。

長期的な成長は望むべきだが、毎年成長し続けることには無理がある。

そんな労働者としての成長への限界を感じつつ、その反面、投資家としての成長への期待も持ってしまう。

そんなダブルスタンダードで今日も日々を過ごしている。

 

おこらない、おこらない

きちーぜ、仕事超きちーぜ。

今やっているプロジェクトがトラブってます。

キーマンとなるはずの中堅のメンバーが『実は終わってません』みたいな報告をしてきたりと、まぁ良くある話です。

感情的になってはいけない。

正直自分に落ち度が全くない状況で、周囲の連中から叩かれるのは納得いかない部分はある。

平日も夜おそく、休みの日も働いてそれでも感謝どころか文句しか言われない。
そんな日々が続くと、

『なんで自分ばっかり!』

『そもそもあの人が途中でいなくなるから!』

『あいつが最低限の仕事さえできなから!』

みたいな感情がちらつく時がある。

この『憎しみ』の感情は非常に危険で、少しでも気を許すとすぐに自分の身に纏う空気として周囲に発散されてしまう。

 

昔の自分を思い出すと、

夜眠るときに『あいつ』の顔を思い出してイライラする。

周囲に当たり散らして可哀そうな自分をアピールする。

そんな状態になってしまう。


どんなに感情を押さえようとしても、体から染み出てしまう憎しみの感情。

少しでも憎しみの感情を感じてしまうともうダメ。


・憎しみを感じると、憎しみと戦う自分が生まれる。

・その葛藤は周囲にも絶対に伝わる。

・周囲に伝われば憎しみは伝染する。

・周囲に伝染すれば運命のように破綻へ向かう。

・結果、自分も周りも不幸にする。


この流れを対処するにはそもそもの最初の感情の起こりを制御するしかないと思う。

でもいつも笑顔で聖母や菩薩のように生きれるほど自分は人間はできていない、できる事と言えば最低限の感情停止させる程度だろう。

憎しみを我慢するのではなくそもそも感じないようにする。

脳内CPUのリソースを事実の理解と分析だけに割り当て、感情には一切割り当てない。

『憎む』と『叱る、注意する』を分けて考える。

『憎む』という行為を『道徳』の問題ではなく、『損得』の問題として客観的にとらえる。(自分が損することは嫌いだ。)

それを意識しよう。

そうすれば春になる頃には今ある問題は時間が解決してくれるだろう。