前回に引き続き足尾探索です。
銅山観光を終えた後、通洞近辺の廃墟を探索しつつ北上し、間藤駅方面に向かいたいと思います。
渡良瀬川がきれい、本当に公害の街とは思えない。
通洞駅近辺
中才地区の鉱山住宅が見えてきました。
足尾銅山では坑口付近に鉱夫のための住宅地を設けて社宅として提供していました。他の坑口付近にも同様の住宅地が形成されていたようです。
赤い屋根の平屋や防火壁が印象的でここの住宅地はまだ入居している人もいました。
発電所、火力発電所で非常用電力供給設備として使っていたそうです。大正時代からの建物のようでさすがに取り壊し始めているようです。
隣の変電所、完全に廃墟かと思いきやウィーンと機械音がしているので稼働しているようです。ちなみにこの変電所は古河機械金属の所有地と表記がありました。足尾は旧古河財閥の企業城下町だったようで至る所に古河系の企業名を見ることが出来ます。
選鉱所の廃墟全景、坑内から採掘された鉱石をより分け、破砕して上流の本山製錬所へ送る役割を担っていました。背後の崖に穴が空いていますがあそこから鉱石を取り込んでいたようです。穴の右隣りに白い塔が見えますが、あれが現代で言うモノレールの支柱になっていたようで鉱山と選鉱所間の送鉱に使っていたとのこと。
中は立ち入り禁止でここも古河機械金属の関連設備、目の前に見える円柱状の物体はプールの様なもので銅の成分を沈殿・抽出するための設備らしい。
足尾駅近辺
その後北上して足尾駅近辺に向かう。歴史を感じる建造物がちらほらと。
足尾線時代の車両
その後も渡良瀬川沿いに北上を続けます。第一松木川橋梁、大正時代からのもので国の文化財らしくレンガ造りの橋梁が印象的。
間藤駅近辺
歩き始めて1時間程度でわたらせ渓谷鉄道の終点である間藤駅に到着。
この先にも実は廃線になった線路が残っており本山製錬所へと続いています。当時は直接製錬所に電車が乗り入れ物資の運搬を行っていたようですね。
廃線になった線路、この線路がこの先の本山製錬所へと続いている。
その後も間藤地区を歩いて行く、しかしまぁ見事に人と出会いません。
今は御覧の通りの街並みですが、往期は足尾一の賑わいを見せていたようで商店街やなんと映画館などもあったようです。ちなみにこの時期からすでに後ろの山々への煙害の様子がわかります。
本山製錬所へ
そして本日の最終目的地、採掘・選鉱された鉱石が運び込まれる本山製錬所が見えてきました。
明治時代に開設され、当時の先端技術を導入して生産量が飛躍的に増加したようですが同時に亜硫酸ガスが発生し煙害の問題が発生しました。この煙害により上流の山々や村が大きな影響を受けたようです。
硫酸をためておくタンク。
大煙突、50m近くあるでしょうか。
橋を渡り製錬所の入り口へ向かいます。この橋も古河橋と呼ばれ国の文化財に指定されています。(橋は立ち入り禁止で隣の第二古河橋から渡る。)
当然ここにも古河の名前が。実は完全な廃墟ではなくまだ誰か職員がいるような感じがします。
通洞駅方面から伸びてきた線路がこの製錬所に引き込まれていますね。ここで製造した銅をダイレクトで各地へ出荷していたのでしょう。
ここまでざっと渡良瀬川の下流から上流にかけて流れを追いかけて行きましたが、この地域一帯で採掘・送鉱・選鉱・製錬・出荷までが完結する仕組みになっていたようです。
日本一の生産量を誇っていたのは伊達ではないですね。
すでにお昼を過ぎていますが、実はまだこの日は予定があり再び通洞駅付近まで戻ることになります。足尾と切っても切り離せない公害問題、その片鱗を今現在でも垣間見える場所があるらしいです。
毒の赤いダムと言われる、観光案内のパンフレットにも載っていない場所を目指します。
続く。