前回に続き足尾探索の最終回です。
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中倉山の山頂にたどり着いた後は稜線上を西に向かって歩いて波平ピークと呼ばれる場所まで行きます。(本当はもっと奥まで行けるけど帰りの電車の都合上早めに引き上げることにする。)
孤高のブナを求めて
中倉山の山頂を通過してしばらく稜線上を歩きます。森林限界を超えたかのような素晴らしい景色が広がります。
ちなみに左側は木々が生えていますが、右側は生えていません。これは銅山からの煙害を直に右側の斜面が受けたため禿げ上がってしまっているのです。
数十年経ってもまだ傷は癒えないということです。
パッと見るといかにもインスタ映えしそうな景色です。ただこれまでの足尾の色々な歴史を知った上でこの山を見ると、この山肌は火傷した皮膚みたいに痛々しくも見えてきます。
そしてしばらく歩くと見えてきましたポツンと生えているブナの木、孤高のブナ。
Hello
このブナの木、樹齢は100年程度ともいわれており足尾銅山が亜硫酸ガスをバラまいていた時期から生き抜いているのではと言われています。
君はここからどんな景色を見てきたんだい?
稜線を歩く
しばらくブナの木を愛でた後、目的地である波平ピークに向かって稜線をまた歩きます。独特の地形が続きます。
眼下に見える松木渓谷、あの渓谷の近くにも昔は村があったと言われています。いわずもがな土壌汚染や煙害のために廃村になったらしいです。
独特の岩場地形がこのあと続く。日本のグランドキャニオンと言われる部分です。
男体山もよく見える。
そうしてしばらく稜線を歩き13:30頃、波平ピークに到着しました。名前の通りあのアニメのお父さんの頭が由来だそうです。
時間の関係で稜線歩きはここまで、来た道を引き返して下山をはじめることにします。
今まで来た道を戻るわけですが、この稜線は戻りの時の方が景色が素晴らしいですね。
下山の様子は割愛しますが、まぁまぁ大変でした。(笑)
無事予定通り登山口まで戻ってきました。
下山後に中倉山から見えた旧松木村の跡地に立ち寄ってみます。
松木村は煙害の影響で1902年に廃村になった村で今は見る影もなく、墓?石碑?の様なものがポツンと残っていました。
おそらくこの村では銅山からの煙害が原因で命を落とした人、体に障害を持ってしまった人もいたのでしょう。
当時の日本は欧米列強に対抗するための国策として富国強兵を進めており、足尾銅山はその施策の一環でもありました。
日本の近代化に足尾銅山が大きく貢献したことは事実ですし、当時の時代背景から足尾銅山の操業そのものや十分な公害対策が出来なかったことの善悪を論じるにはまだ勉強しなくてはらないことがたくさんあると思います。
ただ歴史的な発展の影にかくれて犠牲になった村があった事実を忘れてはいけないですし、そこからの教訓は得ないといけないと思います。
そんなことを思いながら石碑の前でしばらく手を合わせていました。
帰り道では鹿を見かけました、また地域の取り組みで植林を行っているような場所もあり少しづつですが治山に向けた活動も続いているようです。
15:45銅親水公園に到着、ただいま。
本山精錬所の大煙突の前を再び通り間藤駅へ。(手前のお墓は旧松木村の無縁塔です。)
豊かな自然、綺麗な川、消えない産業廃棄物、煙害の爪痕、衰退していく街並み、そしてこの大煙突、足尾の様々な景色をこれからも孤高のブナは見ていくのかもしれません。
その後、電車と特急を乗り継ぎ家路へ。
さらば足尾。
銅山の街、足尾の今と昔を巡る旅はこれで終了です。また季節が変わったら再訪してみたいと思うそんな場所でした。