ひふみのブログ

シンプルに生きる。

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ

久しぶりに新卒で入った会社の同期達数人で飲み会を実施した。(こんな社会情勢なのでオンラインだけど。)

さすがに社会人経験15年以上経過するとそれぞれの近況もだいぶバラエティに富んできている。

・結婚して、子供もう生まれた今度は家を買う予定、仕事はまぁ。
・バリバリ仕事しまくってる、管理職になりました。
・離婚しました。養育費の支払いがきついです。
・あいつは鬱病で休職と復帰を繰り返しているらしい。
・エース候補だった彼は未だ平らしい、もう仕事は適当にやるらしい。

とまぁ同期達も十人十色の生活を送っているようだ。


新人の頃は「仕事ができるやつが正義!」みたいな考え方がほとんどだったけど大した変わりようだ。

ただなんとなく思うことは、みんなそれぞれ自分の今の状況についてそれなりに納得して自分の人生を決定している、そんな感じがして少しうらやましくも思えた。

自分の場合は流されるままにここまで生きてきたような気がして、少しなんとも言えない気持ちを感じている。

 

生き方って人それぞれ。


新人で会社に入った時はなんとなく課長になって、部長になって、給料も上がってという生き方が『正しい』生き方なんだろうなと思っていた。

でも長いこと働いているとそんな単純な話では人生ないなと思うことが多々ある。

・仕事第一で滅私奉公で頑張りたい
・生涯技術者で現場で仕事をしたい
・仕事よりも家庭を優先させたい
鬱病を患ってから仕事より自分の健康が第一
・責任のある管理職より平で気楽にずっといたい

みんなそれぞれの人生の正解探している。

そんなことを感じた同期会だった。

 

「次やるのは10年後くらいかなぁ~、生きてればね。(笑)」そんな言葉で会はお開きになった。

 

 

雑な生活

色々仕事がトラブって、お盆休みだけどその対処に追われている。(早い話が休日出勤。)

週明けからさらに忙しくなりそうだ。

 

毎度のことながら、忙しくなると生き方が雑になる。

部屋が汚くなる。

寝るのが遅くなる。

朝ご飯を食べなくなる。

コンビニのおにぎりばっかり食べる。

人に感謝できなくなる。

警戒心が強くなる。

ため息が増える。

呼吸が浅くなる。

 

昔からの自分の悪い習性。

もう少し丁寧に生きることを意識せねば。

 

ちょっとTOEIC受けてきた

本日TOEICを受験してきました。

色々あって今年の5月に受験を開始して、これからも定期的に受験していこうと思っています。来年ぐらいまでに700点overを目指してコツコツ勉強していこうかと。

 

5月に初受験から2カ月ちょこちょこ勉強して今日また再受験しましたが正直全くできている気がしません。

少し自分なりに何かまずくて、今後何を強化すべきか振り返ってみます。

 

試験の手ごたえ

・英単語面では比較的対応できていたと思う。

・文法問題に関してもそこそこ理解は出来ていたと思う。

・だがPart7は全く時間がなく1/3くらいは未回答になった。

・リスニング聞き取れないもの、聞き取れても理解できないものが殆ど。

 

全体的な所感

全体的に言えることとしてはとにかく英文の処理スピードが遅いということだ。何と言うか英文読んでもすんなり頭に入ってこない(英文が頭を素通りする感覚。。。)

基本的に学生時代の受験英語の癖が抜けていないせいか、

・文章の単語を理解する

・SVOや関係詞を整理する

・日本語に変換する

 

学生がやるような処理の仕方をしているのでとてもTOEICの試験スピードについていけていないのだろう。だからリーディング・リスニングともに処理スピードを上げる(上がる)と頭に英文が入ってこなくなる。

極端な話、試験の設問部分すら正しく理解するのに時間がかかっている。

 

これからの勉強

とにかく文章をたくさん読むこと、音読をすること、音読したスピードのまま文章を理解できるようになること。(戻って読み直すことがなく英文のまま理解できるようになること。)これだと思う。

とにかく量をこなさないとあのスピードにはついていけない。

すぐに結果が出るものでないので少しずつ粘り強くやっていくしかない。

 

 

ハッと顔を上げたらもう6月

時間の経過が異常に早い。

この前2022年が始まったと思ったらもう半分に差し掛かろうとしている。

とにかく毎週、仕事の進捗を意識して「今週はここまで・・・」、「来週までにこの部分をリカバリして・・・」みたいなことを考えてWBSとにらめっこしているとあっという間に一週間が終わってしまう。

個人的には火曜日が終わればもうなんか1週間が終わる感じの時間感覚になっている。

 

なんだろうな。

仕事をしている時、家で引きこもってダラダラしている時、どこかに旅行に行っている時。

同じ1日でも時間の流れる速度はそれぞれ違う。個人的な感覚では刺激が多い日ほど1日が長く感じる。

 

そういう意味だとおそらく仕事をしている日も引きこもっている休日も時間の経過の感覚は似ていてどちらも早い。おそらく本質的な「単調さ」、「変化の少なさ」という意味ではきっと同じなのだろう。

 

そもそもが生きている期間の分母が大きくなれば、その中で1日の占める割合は年を追うごとに小さくはなるので体感的にも納得は行く。

さらに変化の無い毎日を過ごしていれば尚更だ。

油断すればあっという間に5年、10年経過していく。

思い出せないような日々が続くのであればそれは何か変化や刺激が足りていないという事だろう。

今週もボチボチやってくかー。

 

明日がんばろう

こんばんは。
休日でしたけど一日仕事してました。(行き詰ったので途中で挫折)


昔、四国遍路をしていた時に見つけて印象に残っていた詩なんですが、たまたま同じものをネットで発見したので貼っておきます。


丁度よい・・・


足るを知るという意味もあると思いますが、必要以上の無理をしなくてもいい、そんな解釈もできる内容だなぁと感じています。


時間に追われ、

数字を追いかけ、

完璧を求められ、

矛盾に苛まれ、

ルールに縛られ、

責任を追及され、

周りと比較され、

様々なプレッシャーを感じて生きている毎日。

 

当然、日々の成長は大切なことで、努力や多少の背伸びは必要。

そして資本主義の世界で生きる以上、競争や成長から逃れることは出来ない。

やるべきことをやらずに『丁度よい』で安易に現状を受け入れることは好ましくはない。

 

でも・・・

それでも・・・

その努力や背伸びが明らかに度を過ぎているとき、

自分の限界を超えているとき、

誰かを不幸にするとき、

そんなときは少し立ち止まってみることも必要なのかもしれない。


本当にもうどうにもならないと思ったとき、疲れ果ててしまったとき、自分にかけてあげたい『丁度よい』という言葉。

厳しい世界を生きていく自分へのお守りとして大切にしていきたいと思います。

 

適度なストレス

ゴールデンウィーク明けの最初の一週間をヒィヒィ言いながら乗り切りました。連休明けの一週間仕事して思ったのはやっぱり休みが長く続くと良くも悪くも頭が緩むな、ということ。

なんというか朝起きた時の「頭の覚醒具合」が長期休み中と仕事中だと全然違うんですよね。

それは当然で仕事がある平日は「他人の時間」を生きているから。

会議のファシリテートをどう進めて話をどうまとめていくかを朝から考えたり、定時までに資料を送らなくてはいけないからそこから逆算して何時から作業着手しなくてはない行けないのか、部長に悪い報告しなくちゃいけないからどうやって言い訳しようとか、そんなことを考えて過ごすわけだが、休みの日はそれがない。

まぁ休日もその日の予定の様なものはあるが特に責任が伴うものではないのでどうしても必死さや進め方に関する思考の量は落ちる。

仮に仕事をリタイアして休日のパターンが毎日続くと確実に自分の頭の回転は劣化していくだろうなとは思う。

当然平日の負荷の量が適切かというと怪しい部分はあるが、脳を健康に保つためのある程度のストレス(嫌なことや緊張感)もある意味必要なのかなと最近は思っている。

 

まぁやっぱり何事もバランスなんだろうな。

そんな感じでいい具合に今週もやっていこうと思う。

 

 

ちょっと足尾行ってくる(⑤孤高のブナへ)

前回に続き足尾探索の最終回です。

hifumeeen.hateblo.jp

 

中倉山の山頂にたどり着いた後は稜線上を西に向かって歩いて波平ピークと呼ばれる場所まで行きます。(本当はもっと奥まで行けるけど帰りの電車の都合上早めに引き上げることにする。)

孤高のブナを求めて

中倉山の山頂を通過してしばらく稜線上を歩きます。森林限界を超えたかのような素晴らしい景色が広がります。

ちなみに左側は木々が生えていますが、右側は生えていません。これは銅山からの煙害を直に右側の斜面が受けたため禿げ上がってしまっているのです。

数十年経ってもまだ傷は癒えないということです。

パッと見るといかにもインスタ映えしそうな景色です。ただこれまでの足尾の色々な歴史を知った上でこの山を見ると、この山肌は火傷した皮膚みたいに痛々しくも見えてきます。

そしてしばらく歩くと見えてきましたポツンと生えているブナの木、孤高のブナ。

Hello

このブナの木、樹齢は100年程度ともいわれており足尾銅山が亜硫酸ガスをバラまいていた時期から生き抜いているのではと言われています。

 

君はここからどんな景色を見てきたんだい?

 

稜線を歩く

しばらくブナの木を愛でた後、目的地である波平ピークに向かって稜線をまた歩きます。独特の地形が続きます。

 

眼下に見える松木渓谷、あの渓谷の近くにも昔は村があったと言われています。いわずもがな土壌汚染や煙害のために廃村になったらしいです。

独特の岩場地形がこのあと続く。日本のグランドキャニオンと言われる部分です。

男体山もよく見える。

そうしてしばらく稜線を歩き13:30頃、波平ピークに到着しました。名前の通りあのアニメのお父さんの頭が由来だそうです。

時間の関係で稜線歩きはここまで、来た道を引き返して下山をはじめることにします。

今まで来た道を戻るわけですが、この稜線は戻りの時の方が景色が素晴らしいですね。

下山の様子は割愛しますが、まぁまぁ大変でした。(笑)

無事予定通り登山口まで戻ってきました。

 

松木村へ

下山後に中倉山から見えた旧松木村の跡地に立ち寄ってみます。

松木村は煙害の影響で1902年に廃村になった村で今は見る影もなく、墓?石碑?の様なものがポツンと残っていました。

おそらくこの村では銅山からの煙害が原因で命を落とした人、体に障害を持ってしまった人もいたのでしょう。

当時の日本は欧米列強に対抗するための国策として富国強兵を進めており、足尾銅山はその施策の一環でもありました。

日本の近代化に足尾銅山が大きく貢献したことは事実ですし、当時の時代背景から足尾銅山の操業そのものや十分な公害対策が出来なかったことの善悪を論じるにはまだ勉強しなくてはらないことがたくさんあると思います。

ただ歴史的な発展の影にかくれて犠牲になった村があった事実を忘れてはいけないですし、そこからの教訓は得ないといけないと思います。

そんなことを思いながら石碑の前でしばらく手を合わせていました。

帰り道では鹿を見かけました、また地域の取り組みで植林を行っているような場所もあり少しづつですが治山に向けた活動も続いているようです。

 

15:45銅親水公園に到着、ただいま。

 

本山精錬所の大煙突の前を再び通り間藤駅へ。(手前のお墓は旧松木村の無縁塔です。)

豊かな自然、綺麗な川、消えない産業廃棄物、煙害の爪痕、衰退していく街並み、そしてこの大煙突、足尾の様々な景色をこれからも孤高のブナは見ていくのかもしれません。

 

その後、電車と特急を乗り継ぎ家路へ。

さらば足尾。

銅山の街、足尾の今と昔を巡る旅はこれで終了です。また季節が変わったら再訪してみたいと思うそんな場所でした。